2009年秋の定例研究集会(2009.8.25 広島国際大学)

2009年春の定例研究集会(2009.5.23-24 皇學館大学)

※2008年度秋の定例研究集会未開催

2008年春の定例研究集会(2008.5.17-18 びわこ成蹊スポーツ大学)

2007年秋の定例研究集会(2007.9.4 神戸松蔭女子学院大学)

2007年春の定例研究集会(2007.5.19-20 筑波大学)

2006年秋の定例研究集会(2006.8.17 弘前学院大学)

2006年春の定例研究集会(2006.5.27-28 立命館大学)

※2005年度秋の定例研究集会未開催

2005年春の定例研究集会(2005.5.21-22 ホテルサンルート広島)

2004年秋の定例研究集会(2004.9.23 JA長野県ビル)

2004年春の定例研究集会(2004.5.17-18 東京女子体育大学)

2003年秋の定例研究集会(2003.9.25 KKR熊本)

2003年春の定例研究集会

2002年秋の定例研究集会

2002年春の定例研究集会

2001年秋の定例研究集会

2001年春の定例研究集会

2000年秋の定例研究集会

2000年春の定例研究集会


「2009年度秋の定例研究集会

期 日:2009年8月25日(火)14:00〜
会 場:広島国際大学 広島キャンパス 国際教育センター
所在地:〒730-0016 広島市中区幟町1-5
アクセス:JR広島駅から徒歩約10分広島市内
現地世話人:崎田嘉寛会員

秋の定例研究集会プログラム
2009年8月25日(火) 1演題あたり発表60分,質疑30分
13:30 受付
14:00 〜 15:30 研究発表(1)土屋晴夫(日本スキー学会)
発表テーマ:第3回冬季オリンピック大会に出場した我が国スキー選手を世話したジャック ラビットに就いて
座 長 新井 博(びわこ成蹊スポーツ大学)
15:40 〜 17:10 研究発表(2)梶 孝之(尚美学園大学非常勤講師)
発表テーマ:ハワイ日系移民のスポーツ活動に関する研究―塚本宗七に着目して―
座 長 榊原 浩晃(福岡教育大学)


「2009年度春の定例研究集会の報告

2009年度春の定例研究集会は中村哲夫会員(皇學館大学)のお世話により,平成21年5月23日(土),24日(日)の両日,皇學館大学伊勢キャンパス(伊勢市)で開催されました。発表者・演題は以下のとおりでした。23日(土)の発表終了後,学内の学生食堂で懇親会が開催されました。約30名の会員が参加されました。

発表者・演題
工 藤 龍 太(早稲田大学スポーツ科学研究科)『武道秘訣 合氣之術』解題:合気道における「合気」の思想史的考察
田 端 真 弓(鹿屋体育大学大学院)剣術家・斎藤新太郎の諸国修行(弘化4年〜嘉永2年)について―西国諸藩への影響を中心に―
和 所 泰 史(中京大学大学院)日本体育協会会議録にみられる1948年第14回オリンピック・ロンドン大会の日本不参加問題
梶   孝 之(尚美学園大学非常勤講師)定着期、永住期(1908‐1941年)におけるハワイ日系移民と「相撲」
榎 本 雅 之(星稜女子短期大学)1880年のアイルランドのフットボール―1880年のフットボール年鑑にみる選手の評価について―
中 浦 皓 至(日本スキー史研究所)日本におけるレルヒによるスキー講習会について――著名な日本スキー史文献の検証――
山 中 鹿 次(ランニングサポート)相撲伝承、埴輪作成記事の形成と土師氏の職務変化について
鈴 木 明 哲(東京学芸大学)太平洋戦争下の航空体育――戦争と体育の直接的関係――


「2008 年度春の定例研究集会」

期日:平成 20 年 5 月 17 日(土)及び 18 日(日)
場所:びわこ成蹊スポーツ大学
〒 520 − 0503  滋賀県大津市北比良 1204 番地
JR京都駅よりJR比良駅まで湖西線で約 40 分,比良駅下車徒歩約 15 分

5 月 17 日(土) 研究発表及び懇親会

時 間

題  目

発 表 者

座 長

13:10〜13:50

ハワイ日系移民のスポーツ活動に関する研究( 1924 − 1946 年)

梶  孝之
(筑波大学大学院)

寶學 淳郎
(水産大学校)

13:50〜14:30

日本における李想白の業績に関する一考察

及川 佑介
(国士舘大学大学院)

榊原 浩晃
(福岡教育大学)

14:30〜15:10

海軍大将竹下勇武術覚書『乾』 , 『坤』 解題

工藤 龍太
(早稲田大学大学院)

永木 耕介
(兵庫教育大学)

15:10〜15:50

山口県水泳教育にみる『練水要訣』(明治 11 年)の位置づけに関する研究

東島 章浩
(山口大学大学院)

鈴木 明哲
(岡山大学)

15:50〜16:00

休 憩

16:00〜16:40

1930 年代における社会への体操普及についての基礎的研究

佐々木浩雄
(龍谷大学)

大熊 廣明
(筑波大学)

16:40〜17:20

伝記:「武田千代三郎」――生誕から帝国大学時代――

阿部 生雄
(筑波大学)

中村 哲夫
(皇學館大学)

17:20〜18:00

「体操教範」からみた体操遊戯取調報告から学校体操教授要目まで

木下 秀明

大久保英哲
(金沢大学)

18:00〜20:00

懇親会(びわこ成蹊スポーツ大学 食堂)


5 月 18 日(日) 研究発表及び総会

時 間

題  目

発 表 者

座 長

9:00〜9:40

ハリー・エドワーズによるオリンピック大会ボイコット運動
−ブラック・パワーによるスポーツ批判−

今野 和志
(筑波大学大学院)

井上 洋一
(奈良女子大学)

9:40〜10:20

高田師団によるスキー講習会についての文献的研究
―第二年 ( 明治 45 年 ) 度に開催された官民スキー講習会―

中浦 皓至
(日本スキー史研究所)

新井  博
(びわこ成蹊スポーツ大学)

10:20〜10:40

休 憩

10:40〜11:20

1948 年第 14 回ロンドン大会の日本不参加問題に関する歴史的研究
− GHQ 史料・官報の検討を中心に−

和所 泰史
(中京大学大学院)

和田 浩一
(神戸松蔭女子学院大学)

11:20〜12:20

総 会


「2007年度秋の定例研究集会」

秋の定例研究集会は和田浩一会員(神戸松蔭女子学院大学)のお世話により,下記の要領で開催されました。

期日:平成 19 年 9 月 4 日(火) 14:00 〜 17:30  (日本体育学会第 58 回大会の前日)
研究集会参加費:無料

秋の研究集会プログラム

14:00開会の辞 阿部生雄 会長
14:10〜15:40 研究発表(1)
「『近代日本の体操科授業改革−成城小学校における体操科の「改造」−』不昧堂、2007 年」
木原成一郎(広島大学)
座長 大熊廣明(筑波大学)

16:00〜17:30 研究発表(2)
「 オーストリアの資料からみたレルヒとスキー 」
新井 博(びわこ成蹊スポーツ大学)
座長 大川信行(富山大学)

会場: 神戸松蔭女子学院大学 〒 657-0015 神戸市灘区篠原伯母野山町 1 丁目 2-1
場所: 1231教室


「2007年度春の定例研究集会」
5月19日(土) 20日(日) 筑波大学春日キャンパス203教室

鄭 光植(筑波大学大学院):日本植民地下朝鮮で刊行された体育専門誌について
近藤 剛(筑波大学大学院):アメリカ合衆国統治下沖縄における学校体育政策
中野 浩一(日本大学非常勤):ペスタロッチにおける「体育」の概念と近代日本への影響‐明治 10 年前後を中心として‐
Pradyumna ( プラデュンナ ) Dhavalikar ( ダワリカル ) (金沢大学大学院):近代スポーツの受容に関する比較史的考察‐インドの宗教別クリケットと日本の学生野球を中心に‐
榎本 雅之(金沢星陵大学):Celtic Times(1887) にみるアイルランドの陸上競技大会‐記者によるレポート記事の分析を中心に‐
桶谷 敏之(筑波大学大学院):古代ローマにおけるエリートの剣闘試合参加問題の考察
福田 啓子(奈良女子大学大学院):新井つたの鏡心流薙刀に関する考察
木下 秀明:明治期末における東京高師附属中学校の「鉄棒体操」採用の意義


2006年度 秋の定例研究集会における研究発表(総括)

「和船競漕の社会史的考察‐玉江浦の『おしくらごう』‐」(高津 勝・一橋大学)

高津氏の発表は、山口県玉江浦で行われる和船競漕「おしくらごう」の歴史的、社会的意味を考察したものであった。氏はそれをこの地域の祭礼、産業形態、社会組織などとの関係性の中で読み解こうとした。研究の問題意識は次のようなものであった。

1)柳田國男は「我国在来の運動競技は、殆ど其全部が此種祭の日の催しに始まって居る」(日本の祭)と言っている。日本の競技文化史を総体的に明らかにするには、民俗競技の考察が不可欠である。2)民俗的な身体競技は、その担い手である民衆の主体的な営みを基軸に分析・記述されるべきだ。その際、社会の支配構造や権力関係を視野に入れる必要がある。3)民俗的競技を歴史的に再構成する際には、個別・具体的な検証を介してリアルな認識を得ることが必要である。

氏は分析の結果、競技形態の違い等から「おしくらごう」を次のように時期区分した。1)天明末〜完成期:河口での船競漕 2)嘉永期:河から海へ向かっての競漕 3)明治中・後期:沖合から港口へ向かっての競漕 4)大正中期:港口→沖合→港口という往復の競漕 5)大正末〜昭和初期:競漕の制度化・伝統化

氏はさらに、玉江浦の漁業組織、出漁船数、出漁海域、漁獲高等々の分析から、上記の時期区分は沿岸漁業、遠海漁業、遠洋漁業などの漁業形態の変化にほぼ一致すること、また「おしくらごう」は萩中学のボート部に影響を及ぼし、そのボート部から逆に影響されて競漕形態を変化させたこと、などを明らかにした。その手法は見事と言うほかはなく、「おしくらごう」はまさに高津氏のこの研究によって「玉江浦の」民俗競技になった、と言って過言ではない。

ただ、高津氏は発表の中で、競漕に伴う酩酊、狂気などが既存の支配秩序を攪乱させ、日常的な世界を一新する機能を持っていたことを強調されたが、その一方で、青年宿を単位とする競漕の選手選出は、後継者としての模範青年を育成し、選出する機能も果たしていた。矛盾するように聞こえるこれら二つのことがらは、「おしくらごう」をとおしてどのように結びついているのだろうか、この種の知識に乏しい小生にとっては十分には理解できないところであった。いつか改めてお教えいただきたいと思った次第である。

なお、今回の氏の発表は配布資料にも記されていたように、「和船競漕の社会史‐玉江浦の『おしくらごう』‐」(一橋大学研究年報 社会学研究 44 , 99 ‐ 230 , 2006.3 )を基にして行われた。ひとつの民俗競技についてその変容を詳細に明らかにし、それを地域の主要産業や社会的組織の変化に関連付けて考察した研究は、管見の限りこれまでなかったように思う。その意味で、この文献は今後この種の研究をする者にとって必読の文献となるに違いない。

(大熊廣明・筑波大学)


「2006 年度春の定例研究集会」
5 月 27 日(土) 28 日(日) 立命館大学衣笠キャンパス以学館 31 号教室
(参加者 46 名)

発表者:論文題目

藪耕太郎(立命館大学大学院): 20 世紀初頭における武道の海外普及に際して異種格闘技試合が果たした役割‐福岡庄太郎とMax Gallant の試合に関する現地新聞の分析から‐

森 美香(筑波大学大学院):ポロ競技の馬に関するルールの変遷‐ Hurlingham Rules における動物愛護規定を中心として‐

朴 貴順(平成国際大学):中国・韓国・日本における『紀效新書』

和田浩一(神戸松蔭女子学院大学):オリンピック会議( 1905 年、ブリュッセル)への招待状と日本

鄭 光植(筑波大学大学院):日本統治下朝鮮におけるスポーツ団体「朝鮮体育会」の活動につい て

崎田嘉寛(広島国際大学):戦後初期広島県における小学校の体育実践

新井 博(福井大学):レルヒによる日本でのスキー指導のはじまり


「2005年度 春の定例研究集会」 平成17年5月21日(土)22日(日) ホテルサンルート広島

発表者名:論文題目

寶學淳郎 (水産大学校):G.Wonneberger著“Studie zur Struktur und Leitung der Sportbewegung in der SBZ/DDR (1945-1961)”(2001)の検討

秋元 忍(神戸大学):戦前期兵庫県における地方競馬に関する一考察―明石競馬設立(1928年)の経緯―

村戸弥生:宝暦14年度(1764年)朝鮮通信使来聘における馬上才をめぐって

朴 貴順(金沢大学大学院):江戸時代の『武術早學』について

野中由美子(金沢大学大学院):「体操図解」と明治初期東京師範学校の体操実践

山本英作(高知学園短期大学):ブラジル・サッカー史像と1980年代


2004年度 秋の定例研究集会における研究発表(総括)

 9月23日(木)午後2時から長野市内のJA長野県ビルにおいて2004年度秋の定例研究集会が開催されました。Andreas Niehaus氏(ケルン大学)の講演と佐々木浩雄会員(金沢大学)による研究報告が行われ、参加者の間で活発な討論が行われました。当日の出席者から、楠戸一彦会員(広島大学)と池田恵子会員(山口大学)に発表の総括をしていただきましたので、下記をご覧下さい。
 今回は研究集会に37名(うち院生5名)、終了後同ビル内「しなの木」で行われた懇親会に32名の参加があり、遠方からも多数の会員が参加されました。現地世話人を務めていただいた大久保英哲会員(金沢大学)、お手伝いいただいた金沢大学大学院生ならびに筑波大学大学院生の皆様に厚くお礼を申し上げます。

演者 : Andreas Niehaus氏(ケルン大学)
テーマ: Body in Biography − Reading the Life of Kano Jigoro
 2004年秋の定例研究集会では、ケルン大学のA.ニーハウス氏(2004年10月よりベルギーのゲント大学)による特別講演が行われた。講演はドイツ語ではなく英語で行われた(氏は日本語も堪能である)が、阿部生雄会長による発表原稿の日本語訳が配布され、講演内容の理解に大いに役立った。
 さて、ニーハウス氏の講演は、雑誌『作興』に連載された「柔道家としての嘉納治五郎」と「教育家としての嘉納治五郎」の2つの論稿を資料としながら、次のような論点から、嘉納の生涯における「身体の役割(the role of the body)」を解明することに焦点が当てられていた。(1)ロシアの海軍将校との力試しやエジプトでのピラミッド登頂のエピソードに見られる「身体の役割」、(2)合気道創始者の植芝盛平との「身体性」の相違、(3)嘉納による言葉あるいはテキストによる身体の「説明」、(4)「精力善用自他共栄」に見られる嘉納の教え、など。これらの検討を通じてニーハウス氏は、次のような結論を導く。嘉納は身体に対する伝統的な排他性や秘密主義を打ち破り、「身体を脱−神秘化し、理性化した」。即ち、彼は嘉納の考え方に「計測可能で合理的なものだけを受け入れる近代性」を認めた。
 嘉納の言説から読み取れる「身体の役割」の解釈を通じて、「教育家としての嘉納」の思想を解明し、また日本における伝統的な身体を「近代的な」身体を対比させたニーハウス氏の講演は、柔道創始者としての嘉納に関する研究に親しんでいた筆者にとっては極めて新鮮であり、嘉納治五郎研究の新しい地平に接することができたことは幸いであった。側聞するところによれば、『体育史研究』に今回の講演の日本語訳と、またニーハウス氏の学位論文『嘉納治五郎(1860-1938)の生涯と業績』(2003)の書評が掲載される予定とのことである。ニーハウス氏の嘉納治五郎研究の詳細については、これらを参照して頂きたい。最後に、体育史専門分科会の定例研究集会において外国人研究者による講演が極めて希であったことを考えると、今回の講演会を企画した世話人の方々に敬意を表したい。

楠戸一彦(広島大学)

報告者: 佐々木浩雄会員(金沢大学)
テーマ: 松元稲穂の「国民体操」について-修養団天幕講習会、協調会労務者講習会、青年団講習所における実践を中心に-
 佐々木会員による上記のテーマについて私が総括することは適任でないように思う。ましてやご発表のあらましを繰り返すことも僭越であろう。しかしながら、外国スポーツ史に通じてきた視点から感想を述べるなら、やはり当日お見えでなかった会員のために若干の説明を施し、私なりに興味深く感じた点をお浚いしておきたいと思う。報告者が関心事としたのは、日本における社会体育の源流を探るべく、松元稲穂の理論と実践についてであった。松元は、修養団に足場を置き、大正期半ばから一貫して農民や工場労働者に体操普及を行った人物として知られている。自ら考案の「国民体操」は、軍隊、学校の枠を超えた空間、すなわち、修養団天幕講習会、協調会労務者講習会、青年団講習所といった場を通じ、勤労青年層への普及の途を示す道しるべとなった。先行研究とのかかわりで言えば、大谷武一、北豊吉とともに国民保健体操(ラジオ体操)の原型、「国民体操を創始」したとされていることを除き、彼自身について体系的研究がなされていないことも本研究のニーズとして掲げられている。そこで、家庭体操(婦人の健康)から国民体操へと誘い、体操の生活化、内臓諸器あっての健康、先に隆々たる筋肉、骨格があるのではないとする斬新な主張が見直されることになる。工場での朝礼、休み時間に行う疲労恢復のための体操といったその実践は、国民保健体操と共通動作の多いものであった。さらに普及の様相は、理論よりも実践者の体験談を軸にするものであったとされている。議論の中心は、内務省書記官をも務め、農村の青年教育に携わり、小尾晴敏とともに天幕講習会を確立、「中堅青年の養成」を主張した講習会講師、財団法人協調会理事を務めた田沢義鋪らへの言及他となるが、本研究から読み取れる面白さは、既成概念への果敢なる挑戦とも感じられる側面があった。すなわち、体操の普及母体であった修養団の性格について、全体主義的教化活動の一翼とするような消極的な歴史評価と、「大正期のある時期までの民意を反映した一定の自律的組織」であったとする積極的評価との関わりにおいて、身体活動の面から新たな視野を補足しようという試みにもつながっている。こうした官製的あるいは全体主義的意味との関連と、戦前の社会体育や民衆体育の源流としての積極的評価の問題以外にも、松元を扱うことで、この他に興味深い対峙が潜んでいると感じられた。例えば、赤色スポーツ運動でもブルジョワスポーツ振興の脈絡でもない所の日本的特徴を探るという作業である。しかしながら、これらに論を向けていく場合、ファシズム下のドイツ、イタリアとの類似性にも触れて、視野を拡げなければならないという課題も伴うことであろう。それにしても、松元がソコルにも、ヤーンのドイツ体操にも言及しているあたり、極めて興味深く思われる。また、このような可能性を感じる一方で、報告者の生真面目さの裏返しではあろうが、詳細な事実報告の裏に隠れて、以上の点について、議論が波及しなかったことが残念であった。しかし、テーマを選んだ時点で、潜在的に上述の問題意識が想定されているように思われる。右にも左にも揺れ動き、かつ、「民衆」というキー・ワードから身体が持つ恒久的側面の正と負の両面を扱っていくことに、広い意味での外国民衆スポーツ史との共通性を感じた。今後の展開に大いに期待したい。

池田恵子(山口大学)


2004年度 春の定例研究集会

日程:2003年5月17日(土)〜18日(日)
場所:東京女子体育大学(2号館223教室)
現地世話人:掛水通子(東京女子体育大学)
集会参加者数:55名(一般会員41名、学生会員14名)

【一般研究発表】
発表者:及川佑介(国士舘大学大学院)、木村卓二(一橋大学大学院)、都筑 真(筑波大学大学院)、和田浩一(神戸松蔭女子学院大学)、国枝タカ子(茨城大学)、樫原秀文(鹿屋体育大学大学院)、竹中理恵(金沢大学大学院)、三井 登(北海道大学大学院)


2003年度 秋の定例研究集会における研究発表(総括)

 9月25日(木)午後2時から熊本市内のKKRホテル熊本内「天草」において2003年度秋の定例研究集会が開催されました。木下秀明会員(前日本大学)と山本英作会員(筑波大学)による研究報告が行われ、参加者の間で活発な討論が行われました。当日の座長を務められました、中村民雄会員(福島大学)と楠戸一彦会員(広島大学)に発表の総括をしていただきましたので下記をご覧下さい。
 今回は研究集会に43名(うち院生11名)、終了後同ホテル内「相生」で行われた懇親会に35名の参加があり、遠方からも多数の会員が参加されました。現地世話人を務めていただいた榊原浩晃会員(福岡教育大学)、お手伝いいただいた福岡教育大学大学院生の皆様に深くお礼を申し上げます。

報告者:木下秀明会員(前日本大学)
テーマ:永井道明にみる「撃剣」から「剣道」への史的考察

 本研究は、筆者の「問題の提起」にも明らかなように、「剣道」という名称を提唱したのは、明治44年11〜12月にかけて文部省主催による「撃剣及び柔術」講習会で体育理論を講義した東京高等師範学校教授の永井道明であるという仮説から出発している。
 その上で、永井が明治42年2月に欧米留学から帰国してから、大正4年東京高等師範学校に体育科が設置され、「剣道を主」とするクラスが誕生するまでの数年間、永井が行った体育理論に関する講演等を詳細に検討したものである。特に、「撃剣」から「剣道」への名称変更に永井がどのように関わったのか、時期を特定するために、講演が行われた日時の検証に多くの時間が費やされている。こうした作業を通して「撃剣」から「剣道」へ、「柔術」から「柔道」へ、「武術」から「武道」へと、用語の使われ方がどのように変化していくのかを一覧表にし、「剣道」の名称とともに、剣道・柔道の総称としての「武道」という用語の使われ方も検討している。
 木下氏は、明治44年11月の文部省主催の講習会に先立って行われた、同年7月の岡山県教育会における「体操科講習筆記」(私立岡山県教育会、明治44年9月)において、永井ははじめて「剣道」「柔道」を用いた。そして、この講演が転機となって、同年11月に開催された文部省主催の講習会では、@目的の体育を見失って技術偏重になった普通体操を反省して、命名が重要であること。A技術偏重の「撃剣」を嫌忌して、精神を重視すべきことを指摘した。B「柔道」と同じように、技術を印象づける「撃剣」を精神に関する名称である「剣道」と改称すべきことを主張した。
 このような経緯をたどりながら、永井の中では「術」から「道」への明確な転換が行われたことが明らかにされた。しかし、今回の発表で一つ気になったのは、題目では「永井道明にみる」と限定されているにもかかわらず、「撃剣」から「剣道」への名称変更という一般論に重心がかかってしまい、時としてどちらなのかわからなくなることがあることである。明治末期から大正期にかけて活躍した永井道明という人物に限定して、彼の体育理論における思想性の深まりの一事例として、「剣道」という名称変更を例にして検討されたならば、もっとすっきりとした形でまとまったであろうと感じられた。また、体操科の一教材としての名称問題に限定すれば、文部省側の考え方との比較が欠かせない視点ではなかろうか。新しい学校体操を主導する立場にあり、各地で講演活動もし、しかも「撃剣」「柔術」より「剣道」「柔道」の方がいいという発言を繰り返しながらも、なぜ、大正2年の学校体操教授要目において、「道」への改称が行われなかったのか。この点を明らかにして欲しかった。文部官僚の側に、一旦用いた教育用語はむやみに変更しないという暗黙の了解があったとしても、なぜ変更しなかったのかという理由を追求して欲しかった。
 他方、「撃剣」から「剣道」への名称変更という一般論を展開するならば、東京高等師範学校内における教科名や校友会運動部の名称変更の動きを押える必要があるし、学校を取り巻く社会、具体的には大日本武徳会の動向や、大学・高専を中心とした剣道部活動の動向を押える必要もあろう。また、警視庁をはじめとする内務省の動きも考慮する必要があるように感じられた。こうした点からの質問が多く寄せられたことからも、視点がぼやけてしまったことが惜しまれるような気がする。

中村民雄(福島大学)

報告者: 山本英作会員(筑波大学)
テーマ: ブラジル・サッカー史像の構築・再構築−ブラジル体育・スポーツ史学会(1993-2002年)における研究動向を手掛かりに−

 従来の体育史専門分科会における研究発表が日本と欧米の体育史あるいはスポーツ史を中心としていた中で、山本会員によるブラジルのサッカー史に関する発表は非常に新鮮かつ興味をそそるものであった。山本氏は、先ず、ブラジル・サッカー史を語る場合の時代区分に関して、「ブラジル体育・スポーツ史学会」創設(1993年)から2002年までのサッカー史に関する研究発表の動向を参考にしながら、次のような彼独自の時代区分を提示する。(1)「人種デモクラシー」に基づくサッカー史像(1940年代―1970年代)、(2)「伝統」と「近代」、「民衆文化」をめぐるサッカー史像(1970年代−1990年)、(3)「グローバリゼーション」と再構築されるサッカー史像(1990年代−現在)。この時代区分に基づいて、彼は「長らく公認されていく伝統的な」ブラジル・サッカー史像、つまりR. Pilhoの小説『ブラジル・サッカーにおける黒人』(1947年、1964年)におけるサッカー史像がいかに構築され、そして「それが批判され多様に構築されていく歴史的経緯」について、社会背景をも考慮に入れながら、当日配布された資料に沿って発表を行った。配付資料の分量からすると、60分という発表時間は短すぎると思わせるほど、盛りだくさんな発表内容であった。
 質疑応答ではさまざまな質問がなされたが、ここでは次の2点に言及するに止めよう。その一つは、Pilhoによる小説に対する歴史的事実を確認するための資料についての質問であった。これに対しては、当日配布された添付資料に基づく詳細な回答がなされた。もう一つは、今回の発表を「学位論文」としてまとめる際の中核的問題と論文構想に関する質問であった。この点に関しては、時間の関係もあり、発表者と質問者との間の溝は埋まらなかったようである。
 最後に、司会者としての感想を述べて、山本会員の「発表総括」に代えよう。ワールドカップで5度の優勝を遂げたブラジル・サッカーの歴史を解明しようという彼の研究は、資料収集の困難さを考えれば、大いに賞賛されてしかるべきであろう。ただ、発表内容に関しては、以下のような疑問を感じた。(1)論点が多岐におよび、どこに焦点があるのか理解しづらかった。例えば、ブラジル体育・スポーツ史学会におけるサッカー史に関する研究動向を先行研究として分析するとか、Pilhoの小説の初版と第二版を比較検討することに焦点を当てても良かったのではないか。特に前者に関しては、副題と発表内容の関係が理解しづらかったこととも関係している。(2)「サッカー史像」という概念の下で何を問題にするのか、曖昧であった。なるほど、彼はこの概念についての説明を行ったが、必ずしも十分に説得的ではなかった。このことは、サッカーの何についての像なのか、という点に関する分析の枠組みが不充分なことに起因すると思われる。
 ともあれ、山本会員は今回の発表内容に基づいて学位論文を作成する意向のようであるから、その成果に大いに期待したい。

楠戸一彦(広島大学)